改修を始める前の百年亭の外壁は、アイボリー色の板金で足元から頂部まで全体が覆われていました。
この板金の外壁は後年に取り付けられたもので、当初の百年亭の姿ではありません。
改修前の百年亭 |
ではこの百年亭の外壁が元々どのような姿だったのかというと、恐らく周囲の古い民家同様、腰下が下見板張りで、腰上が漆喰塗(百年亭の場合は残っている壁の状況から灰色の鼠漆喰塗)であったと想像されます。
一方でこの腰下腰上のラインが、いったいどの高さだったのか、これについては手掛かりがありませんでした。
しかし外壁の解体を進め、板金の奥に隠れていた柱を確認したところ、柱の風化具合からその高さを確認することができました。
というのは、下見板張りで柱が隠れる部分は柱の風化が進まず、漆喰塗の部分は柱が屋外に現しになるため風化が進み、その境界をはっきりと視認することができたからです。
柱の風化についてですが、木材には冬目と夏目があります。夏に成長した部分と、冬に成長した部分で、硬さや色の濃さが違います。
この夏目と冬目の違いが、いわゆる木目となって木材には現れています。
柱を加工する時に、表面はまっすぐに加工されますので、作りたての建物では木材の表面は平滑です。
しかし雨風に曝されるうちに、柔らかい夏目は削られていき、硬い冬目はなかなか削れません。
この差によって、雨風に曝された木材程、夏目が削られて凹凸が激しくなり、年輪がはっきりと見えるようになります。
板金に隠れていた「上部が風化した柱」 |
またこの調査によって、一間(6尺=約1,820mm)ピッチの柱と柱の間に、化粧の(構造材ではない)付け柱が存在していたことも判明しました。
板金に隠れていた「化粧の付け柱」 |
これは土壁(漆喰塗)の一度に塗る範囲を半間(3尺=910mm)ピッチにすることで、割れが生じにくいようにするためだったと考えられます。
(因みに百年亭の場合、一間=6尺=1,875mmで、現在の一般的な基準より大きめです。これは時代や、畳の大きさ(つまり部屋の内法)を基準とするかどうかによって変わってきます)
調査結果を反映した図面 |
今回の百年亭でも、元の通り化粧の付け柱を再現する計画です。
元々の姿を尊重しながら、新しい技術も取り入れる。
建築士さんの細やかなご配慮に、心より感謝いたします!
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